『私たちは大騒ぎしすぎている
もっとシンプルに
気を楽にして
ホッとすることを探して
リラックスして
自分に優しく
楽しいと感じることをして
創造のボルテックスの中に入ればいい』
大騒ぎしすぎているんです
もっとシンプルに
気を楽にして
ホッとすることを探して
リラックスして
一番大事なのはここですね
自分に優しく
自分に優しくしてくださいね
自分に優しくなればリラックスできますよね
ダメだダメだっていうのをやめてあげてくださいというよりか、
ダメだダメだというエゴキンマンの存在に同意しないであげてください
「(コメント)自分に優しくってなんなんですかね?」
私の言っている自分に優しくは
頭の中の話ですからね
もちろん別に行動で優しくすることもいいんですんけど
その前に頭の中
とにかく意識、意識の中でとにかく優しく
甘やかしなんじゃないかって
最初行動レベルだと難しいと思うんですよ
人の目もあると思うし、
優しくするって自分に、違う違う、頭の中ですね
すごいこと言ってくれる、ありがとうございます。
「(コメント)優しい意識」
そうなんですよ
優しくするって、優しい意識で自分を見守るってことですね
頭の中が全部映写機になって現実に映し出されるんで
だから映写機のここの中のフィルムを変えちゃえば全部変わってくるんですよ
現実が優しくなってくる
自分に優しくしなくても
現実的に行動で躍起になって
自分に優しく優しくって、
もし行動でやったとしても
映写機の部分が厳しいままだったら変わらないんですよね
秀逸なコメントありがとうございます
「(コメント)自分に寄り添う意識」
ほんとですね
私この自分に寄り添う意識が長けてますね、とてもね
すげーくだらない話なんですけど
昨日配信終わって、自分のYouTube、歌聞いてたんですよ自分の
そしたらさ、いろんな動画が関連なのかなんなのか出てくるじゃないですか
そこで人気のYoutuberさんっぽいのが出てきて、パッと
めっちゃキャラ作り込んだぶりっ子だったんですよ
うわ、このぶりっ子、まじやば
みたいなのが、自分の中から声が湧いたんですよ
やりすぎやろ、みたいな
やばいでしょ、批判的でしょ
批判すること自体はジャッジしないでくださいよ
でも、ここにお宝があるわけですよ
すげー私はそのyoutuberの人見て批判的だったわけですよ
やりすぎやろ、みたいな
作り込んだそのぶりっ子が、あまりにも作り込んだぶりっ子がね
なんか批判的
結局、声かけてる言葉、自分にもかけてるわけだから
だから、自分もしたい、っていう前に
お前はそんなことやるんじゃないぞ、って言ってるのと一緒じゃん、これ
人に対して、うわやりすぎやろそれってジャッジして批判してるってことは
自分に対してお前はあれをやるなよって言ってるんだよね
いつも人に対して批判的になった時はここに立ち返ってみてください
人に対してかけてる言葉
その人許せなくていいんですよ
そのままでいいんだけど
自分に対して許せないって言葉に変えた時にどういう言葉に変わるかな、みたいな
お前はあそこまでやるなよ、絶対やるなよ、やりすぎだから
って私は私に言ってるわけですよね
大概はそこに行かずに相手のこと叩き潰せば自分が気分良くなると思って攻撃したりとかするわけですよ
気に入らない、みたいな感じで
そんなことやってたら新しい自分の世界に気に入らないキャラクターが出てくるんですよね、どんどん
自分に声かけてると思ってその言葉を
お前はやるなよ、お前は絶対やるなよ、って言ってんだからね
「(コメント)自撮り見ておえーキモい」
キモいキモい
って言っていいんだけど
でもそれを自分に置き換えてください、言葉に
お前そんなキモいこと絶対するんじゃないぞ、って言い続けてる
そうすると動けなくなっちゃうんよ
なので、いずれやるんでしょうねっていう、いずれ
でも、声優やりたいとかって言ってるから
あのくらい作り込まないと確かに声優とかやるならできないなってキャラクターをね、と思った時に
このくらいやりすぎないとダメだなってなったりするんですよね
あなたの中で、お前はそれやるなよって
人に対して批判が出たら、ジャッジしていいです、その他人のこと
それは許可してください
でも、それをした後に
お前はそれやるなよって自分に対して言ってるそれを見てください
多分あなたはそれで動けなくなってるはずだから怖くて
「(コメント)やるかやらないかより許可出せばいいの?」
そうです、許可です
これが優しくするってことです自分に
自分に優しくする頭の中の意識
寄り添う意識ね
優しいよね、これ
で、別に今、すぐにアクション起こすわけじゃないですよ
そんな作り込んだぶりっ子キャラでなんちゃらこうちゃらやっていこうなんて思いもしないけど、
お前はそれやるなよってずっと抱えてると
私が何か、多分アニメの声優で作り込んだキャラやらなきゃいけない時とか、できなくなっちゃうね
なんでこんな話をしたかって言うと
自分に優しくってこう言うことです。
寄り添う意識
優しい意識
「(コメント)似合う似合わないもないかな」
それも、お前がそんなことやるんじゃない、似合わないんだよって誰かに批判的だったら
お前も似合うことしかするんじゃねぇぞって自分に言ってるってことだよね
だから自分に似合うものってなかなか多分その状態だとないから何もできない、みたいな
優しくいるだけだからそれを行動起こそうって話じゃないです
許可しよう、優しくしよう
自分に寄り添った意識でいようっていう
「(コメント)気が利かなくて使えないやつ、って人に対して思ってるのは
自分に対して、気が利かない使えない奴になったらダメだって思ってるってこと?」
そうです
思ってるって言うか、言われてると思ってください
エゴキンマンからこの声がかかってるんですよ
他人に対して気が使えないな、だからお前ダメなんだ、ダメなんだ、
ってずっと批判してるってことは
お前も気使えなかったらダメだからなって
お前気使えよ、人に絶対気を使えよって
自分に対してずっと言ってるってことだから
これはあんま優しくないね、厳しいね結構自分にね
「(コメント)批判するとあまりいい気分じゃなかったのは
自分にも矛先が向くからだったのか、はぁ」
そうなんですよ
批判の対象に批判すればするほどに、自分に鎖をどんどんつけてるんですよね
だから言うんですよ、他人を許すっていう意識になると変になっちゃうから
批判するジャッジするていうことは問題ないわけですよ
だって、なんでその批判的な声が上がってるかって言ったら
自分に鎖が入ってるからそれが上がってるだけだから、
自分の鎖を解いてあげたらその批判的なものはなくなるわけだから
自分に厳しいとね、苦しくなるからね、
なので自分に優しくというお話です。
何個か事例を出しますね
「(コメント)自分に置き換えて、相手の言うことを自分に言い換える言葉の違いをもう一回知りたい」
事例を出します、これね
「(コメント)発信者の人に、以前そんなんでよう出れんなってなってた」
これは、あんたそんなんでよう発信できんなって批判ね
って他人に向けて言ってる
じゃぁそれを自分の言葉に置き換えた時に
お前はちゃんとしてから発信するならしろよ
って言うことですよね
絶対に中途半場で出るなよって自分に厳しさがあると
自分が何か表現したいと思ってもできないよね
だって完成がないから
お前は絶対にそんなあのレベルで文章書き出すなよ、ブログやるなよ、インスタやるなよ
みたいな、めちゃ厳しいやん
「(コメント)カカシが生まれるわけだ、それ私」
結構やってる人いる
これです、本当の意味での自分に優しくって言う意味
ちょっと朝から神回やね
寝ぼけとってよかった
なので、いいんです
他人にその思いを抱いてていいから
ちょっと外に向いていた矢印を自分にクルッと向けて
私、自分に厳しかったなって言う視点に立ってあげてください。
思えないと思うんよ、それをずっと今まで
やるなやるな
やるなやるな
って縛り付けてたことをいきなり
別にいいんだよって言われても
最初多分思えないと思うから、この言葉で暗示をかけてってください
いいんだよって
いいんだよ
それでいいんだよって
やっていいよ
大丈夫
問題ないからって
その言葉であれしてってあげてください
それも優しいじゃん
その優しさじゃない、寄り添ってる自分に
これもありがとうございます。事例
「(コメント)気分乗らない時も笑顔でいろよってやってる」
不機嫌そうにしてるやつを見て、いつでも笑顔でいろよ、場の空気悪くなるだろ
はい、批判してます
それを自分に対して言ってる言葉に変えます
場の空気悪くなるから、ほらお前笑えよ、ほらほら、むすっとしないでずっと笑顔でいろよ
って自分に言ってるね
きついね
ずっと笑顔でいなきゃいけない
厳しい
だからそれが湧いた時は
いや、いいんだよ
やっていいんだよ
不機嫌でもいいんだよ
「(コメント)そのファッション田舎もんみたいでダサい、よくそんなんで発信してるよね、って思ってる」
うわださっ、田舎もんファッションださー
はい、自分に置き換えましょう
お前は絶対ダサい格好で発信するなよ
絶対にそんなダサいと思われることやるなよ
厳しいですね、自分にね、これもね
「(コメント)その場にいる人全員平等に扱わない人もやっとしてた」
うわ、ホントえこひいきひどっ
全然平等じゃない
うわーやだ、ああ言うの絶対なりたくない
はい、自分に置き換えてみましょう
人は絶対平等に扱え
どんなに嫌な人でも平等に公平に
じゃないとお前は軽蔑されるぞ
これもきついですね
毎回ずっとこれをやろうとするとね
「(コメント)道に唾を吐く人が嫌なんだけど」とか
「(コメント)大声を出してる人は」とか
なんて言うかな、
今例題で出したのはきっと多分わかりやすいと思う
でも大声とか唾吐く行為とか
まずは自分の声に多分置き換えやすいものって自分の中にわかるから
それを許可していくと、そんなにそれが気にならなくなってくるんですよ、だんだん、結局
もしくは目につかなくなるか
なのでその辺は一旦置いとくといいと思いますよ
自分がずっと多分NG出してる
自分で檻作ってる内容っていうのは結構パターン化されてるはずだから
緩くなってく
自分に緩かったらさ、世界に対しも緩くなるんですよ
細かいことは派生してるの
結局自分にこれだけ厳しめ厳しめ厳しめみたいなのずっとやってたら
やっぱりイライラもしてくるし
もちろん他人にも厳しくなってくるし
許せないものが多くなっちゃうんよ世界に
だって自分のこと縛り付けられてらこんなに厳しく
当たり前だけど許せるわけないやん
だからひっくり返すんよ、これを
自分に優しく寄り添う、寄り添う、寄り添う意識ってやってたら
緩んでくるから自分が
世界に対してもゆるい感じになるね
生きやすくなると思う、あなた自身がね
そのためにやることですね、これは
「(コメント)自分に厳しい時夫に厳しかった」
そうだよね
だって、ずっとお前はそれをやるなよ、それをやるなよってやってたら苦しいもんね
苦しいから当たりたくなってくるよね人に
八つ当たりしたくなってくるよね
「(コメント)これすごいわかりみが強い会だね」
「(コメント)すごいラストスパートだった」
朝からそして、朝からです、また