[ハッピーちゃん]節目ごとの意図確認を習慣に!ソースとの調和が気分の良さ

HAPPY理論

大事な話なんですよ、みなさん
おかげさんで自分が自分のことが分からないんですよ、所長もですね
普通にやってることで、分かんないんよね、普通すぎて
毎日朝起きて、歯磨くとかそういう作業を
普通すぎてわざわざ朝起きて歯磨くよとか言わないじゃん
それと一緒でさ、当たり前になりすぎて、そしてもう伝わってるもんだと思ってて
ていうことがね、いっぱいあるんですよ
LINEでおかげさんで皆さんから
報告とか聞いてたりすると、
ん!!?みたいな

その中で、ちょっと待って
これやってなかったら全然意味ないんだけどっていうお話
大事にな発表とかじゃないですよ

みんな頭では分かってるけどやってないと思う
自分がどんな気分でいたいかっていうのをすっ飛ばしてませんかね

私の本当の始まりって2014年にブログを始めたでしょ
それの一個前の秋にエイブラハムに出会ってて
そん時は、絶賛、当時の、てか今も旦那さんですけど
旦那の浮気が発覚、夏にして、それが解決したんだけど
自分の頭の中がむしゃくしゃして気が収まらなくて
さらに、派遣のバイトで行っていたレストランに
私トロくさいもんだから、お局さんが一人いて、めちゃくちゃ怖くてその人が
何かあるたびに私は言われてたんですよ、いろんなこと
絶賛気分悪い真っ只中だった時なんですよね、秋くらいって

心の中では悪口言ってたんだけど、めっちゃムカついてたんよ、本当に
いちいち言ってくるから
お皿拭いたの本当に?とか
後ろ通る時は声かけてください、とか
で、それを忘れちゃうからいつも
お皿汚かったり
後ろ通る時に声、はい通ります、すいません、とか言わなきゃいけないんだけど
忘れちゃうわけよね
料理運ぶエレベーターのところに
バンってガムテープで雑に後ろ通る時は声かけろみたいなの書かれてて
みんなに、これって竹腰さん怒られたことだよね、とかって
みんなにも周知されるくらい、集中攻撃受けてたんですよね
本当に胃が痛くなってて
またあの人と今日も働かなあかん
胃がキュってなる感じ
あれのときに似てたな、小学校のいじめられてる時の小学校行く前に似てたな
行きたくない、みたいな
また言われる、みたいな
ひどい時なんか、二人っきりで同じサービスをしなきゃいけなくて、同じテーブルの
どうやったらそんな育ち方ができるんですか?くらいまで言われちゃうんよね
すごいよね
今考えたらなんでそんなこと言われなあかんのって感じだけど
当時は田吾作メンタルだから
そうだよ私、こんな生き方してるから悪いんだみたいになっちゃってさ
ツラい、ツラたんでした

その時にエイブラハムに出会ったから、それで目が覚めたんですよ

あ、これ、いっつもいっつも行く前に、出勤前に
あー気分わるー、またいじめられんだろうなー、今日何言われるんだろう、みたいな、
行く電車乗る前からもはや気分が悪いし胃が痛くなる
それまだ起きてないのに

で、エイブラハムの内容見た時に
あ、ちょっと待って、
これあたしが悪いやん、と思って

毎日毎日行く前から起きてもない出来事にフォーカスして
あーまたあの人と一緒でまたいじめられてって、
気分の悪いまま進んで、気分の悪いことが起きて、終わってからも気分の悪さを感じて
それ私の人生不幸だわ、っていうのに気づいたいんですよ

楽しいできごとが起きたら楽しいのは当たり前で
自分の気分は自分で決めれるんだから
これ、あたしの責任やったやんって思ってね

行く前にそれからは絶対、少しでもいいから一人になる時間を作ってから、10分でもいいから
今日どんな気分で終わらせたいかを決めた
〇〇さんと仲良くするとかは絶対不可能だから、
仲良くできたとか、ポジティブエセシンキングとかはしないわけよ
私は今日終わった後に、ゆったりして終われた、とか
今日は気分良く終われた、とか
最初それをまず自分の中で意図してから始めるってことをスタートしたんですよ

気分をちゃんと先に感じてから行こうと思って

気分は自分の責任なんですよ

だから終わった後
仕事がうまくできたとかそういう感じじゃなく
とにかく、気分良く終わりたい今日、っていう
いつもの気分の悪さは嫌だ、と思ったんよ

それを設定して出勤し始めたんですよね
そしたら、変わらず言われるんですけど、同じような言葉を
あら不思議、だんだん気にならなくなってきた
組んでも一緒に、スルーできるようになってきて
それで、2週間くらい経ったら、何が起きたと思います?
なんと支配人が、私と〇〇さんを組まないようにシフト組み始めてくれたんですよ
奇跡やと思いましたね
いなくなったー!超ラッキーだった
これでね、私はいろんなことを始めているんで、
何か始める前に自分の気分を、どんな気分を感じたいかって、当たり前にやってるんですよ、当たり前すぎて
やってないですよね、みなさんね多分、

お気にりのワンシーンて言ってるあれ、
今日のお気に入りのワンシーンはなんですか?っていう言い方してるじゃないですか
今日一日何が良かったですかって言わないのも、ワンシーンごとに切ってるんですよ全部

なので、例えば打ち合わせ行く前に
今日の打ち合わせ終わった後どんな気分でいたいかとか、
ダンスレッスン行く前に、今日の1時間のダンスレッスン終わった後こんな気分でいたいなとか
新しく出会う人とお食事があるとかだったら、今日どんな会だったらいいな、気分がいいなとか、
ワンシーンごと、瞬間
これエイブラハムの言葉で言うと
節目ごとの意図確認っていう内容なんですよ
節目ごとに確認する

シーンて切れるじゃないですか
例えば、歯を磨く前に、今から歯を磨く、っていうワンシーンが始まるでしょ
それが終わって、着替えるっていう時に着替えるワンシーンに移りますよね
家を出て会社に行くまででそれでワンシーンでしょ
会社に着いてから業務が始まる、それでまたワンシーンみたいな
シーンごとなんですよ

これも真髄ですね
これを癖づけていきましょう、癖づけて

もう一度問いますけど、
あなたが何か欲しいものがあったり、何かになりたかったり、どこかに行きたかったり
そういうのを欲しがる理由はなんですか?
それを持ったら、それになれたら、そこに行けたら、気分がいいからですよね
全部それですよね
気分がいいからそれが欲しい
気分がいいからパートナーが欲しい
気分がいいからお金が欲しい
気分が良くなれるからそこに行きたい
ですよね

てことは、全部気分が良くなりたくてそれが欲しいって思ってる
手前の物質的なものを
でも、今の自分は?って言ったら
めっちゃ気分の悪さを感じてたら
もし、ひょんな事で物質的なものがパッと手に入っても
気分の悪さが変わらないから
例えば良くあるのが、旅行に行けたとしても望みが叶ってもその場所で気分が悪いとかね
そういうわけじゃないじゃん
どこに行って何やってようと、気分良くいたいからそれが欲しいと思ってるわけだから
ということは一番大事なのは、自分はどういう気分でいたいのか
ってことを自分に質問してあげること

自分が叶えたいこととか、大きな夢とかになってくると、絶対感情、気分を感じるって難しいと思うんですよ
でもね、ワンシーンごと
打ち合わせどんな気分で終わらせたいかな、とか
今日のダンスレッスンこんな気分で終わりたいな、っていうレベルの
日常のワンシーンの切り取りのあれはできるはず
どんな気分で終わりたい?
どんな気分で取り組みたい?っていう
そこをすっ飛ばして
言葉だけ叶ったような感じの例えば望みを書いても
書きながら気分の悪さを感じてたらそれ叶っても気分悪いね
私が今日のお気に入りのワンシーンていう言い方するのは
ワンシーンでいいんですよ
それが3つのシーンだけでいいんですよ1日のうち最初は
気分の良かったことをピックアップしていく

もう一度
気分の良さって私たちって何を持って気分がいいっていう感覚になるんでしょうか
人によって気分が良くなることって全然違うじゃないですか
行動が違っても、でもみんなが気分の良さを求めてるわけでしょ
幸せを求めてるんじゃないんですよ
気分の良さを求めてるんですよ、みんな

気分の良さをなんでこんなに求めると思います?
気分が良くなる行動は千差万別違うけど、でも、みんなが気分のいいことを求めるでしょ
気分の良さは、ソースと同調した時に起きるんですよ
本当の自分に触れるから気分がいい
だからその気分の良さを求めるんですよ人は
本当の自分に触れれるから
本当の自分のソースの愛を感じれるんですよ
ワクワクしたソースのエネルギーに触れた時にものすごい気分が良くなるんですね

常に私たちは物とか評価とかを求めてるわけじゃなくて
ソースに触れることを求めてる

なので、HTL研究所では
ホッとしてリラックスして、自分の中のソースの愛、無条件の愛
何を考えてても、何をしてしまっても、何を感じててもいいよっていうソースの無条件の素晴らしい愛
これを感じた時に気分の良さを感じるんですね

だから逆にそこが
それを自分が求めてるんだってことが分からないまま
物とかに走ってしまうと
買えたのに、旅行行けたのに、お金も入ってきたのに
なんか気分悪いみたいな状態がずっと続くんですよね
それ、何か取り付けてもソースの、ソースとの、本当の自分との調和
ホッとしてリラックスして
なんでもよかったんじゃんって今この瞬間感じれなかったら
取って付けても色んなものを
ソースと離れてるから気分が良くない

逆に、なんかが外で起きてて気分の悪いことが
でも今この瞬間、自分の中のソースを感じる
どんな気分でいたいかを確認していると気分いいですね

逆にソースとの調和が入ると、逆になんでも手に入っちゃうんですよ何でも
パラドックスの世界ですね、ほんとに不思議なもんで

物質を求めないでおきましょうっていう話では全くないです
ソースとの調和が気分の良さというものなんですよ
だから何がなくても今感じることはできる
それを自分の気分の良さを感じるって、ワンシーンごとに意図して意図してってやってたら
絶対物質的には当たり前だけど豊かになっちゃう、残念、残念なくらいそうなっちゃう
求めてなくても入ってきちゃうってこと

だからあなたが肩の力が抜けてたり、
なんか何でもええやんってなれてる時は
完全ソースとの調和が取れてるからめっちゃ気分が良くなってるんですよ
いいぞいいぞ、って感じソースからしたら呼びかけ的に
いいぞいいぞ、このまま調和して、みたいな

また、どっかのワンシーンに行ったら気分が悪くなる
気分が悪くなるってことはソースはこう呼びかけてるんですよ
おーい、ボルテックスから外れたよーみたいな
入っておいで入っておいで、こっち入っておいで
ボルテックスの中においでーってソースが呼びかけてるわけよ、気分が悪いのは
自分が、あ、ボルテックスから外れた
ソースと調和しようって、これ別に問題じゃねぇなってなった瞬間にホッとした
ソース的にはボルテックスに入ったよ、っていう感じ

 

私はこれをワンシーンごとの切り取りみたいなのを5年やってますね
習慣化してるんで
新しい例えばこういう配信始める前とかも意図してから始める
1時間後にどんな気分で終わりたいかなとか
朝の瞑想の前とかもたった15分だけどこれで終わりたいなとか
それを1日のうち何回もやってたらさ
どんな気分でいたい?って聞いてあげることって
ソースの視点に立つことじゃないですか
気分良くいたいって豊かな気分でいたいとか、安心していたい、安堵感に包まれたいって
この状態ってソースの視点で世界を見てるってことだから
ソースの視点でいる時間が長くなる

習慣化したら無意識レベルで聞いてるよ勝手に自分に

 

ワンシーンを切り取りのもう一つメリットがありまして、
時間が短冊切りになってくるんですよ、頭の中で
今、私もこのワンシーンごとじゃなくて
人生っていうのを例えば80何才まで生きるとして、とか
あと何十年、長い時間軸で未来を捉えようとすると一気に私ね、重たい気分になっちゃうんですよ
不安が襲ってくるっていうか、何なんだろう、大丈夫?みたいな

でも、ワンシーンごとを気分良く過ごすっていうのの積み重ねが結局人生じゃない
そうすると、軽くなるんよね、ワンシーンごとだから
そのワンシーンをいきなり何万シーン重ねた何十年後とかって言われると自分の中ですごく重たくなる
それが節目ごとの意図確認をずっとやってきたおかげで
時間が短冊切りみたいになってる
だからあんまり分かんない
次のシーンがどうなってるかなんて分かんないし、みたいな感じいつも

 

もう一度言います

ワンシーンごとのどんな気分を感じたいかって確認を自分に質問してあげる作業

メリットは、1つは
その回数が増えれば増えるほど、もちろん気分の良さが増えてくるし、
ソースの視点に立ててるのでその質問して答えを自分で出すっていうのは
ということは、すごいパワフルになりますね

もう一つが
ワンシーンごとに切ると、未来に意識が飛ばなくなりますね
先の未来はありますよ、ちょっと先、1時間後とか、1日後とか3日後とか1ヶ月後はあるけど、
何十年とか、自分の人生の終わり手前とか
年金大丈夫かなとか、そういう思考が一切なくなってくる
とにかくワンシーン精一杯、みたいな感じなので

この二つ、メリットがありますね

私これやってたら年齢が、とか質問をもらうんですけど、
年を重ねるってことに対しても無くなっていくんじゃないでしょうかって思ってるんですけど
ワンシーンのただの積み重ねやん
そういう風に意識が変わったらで、このまま年をとったらどうちゃらこうちゃらって考えなくなる
それではこれからのワンシーン
あなたにとってのドラマ割のワンシーン
どんな気分で終わらせたいですか?